【心理学】「相手を受け入れる=受容」についてのヒント
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こんばんはー。yukiです。
先日、はじめて明治神宮に行きました。
落ち着いた時間を過ごせてよかったです。
ところで、そこでおみくじをひいたのですが、
明治神宮のおみくじは大吉とか凶とか
そういうのが書いてないんですね。
我々を評価・判断しないのです。
なんかちょっと物足りなかった。
(写真はwikipediaより)
と、全然違う話題から入りましたが、
今日はタイトル通り、
「相手を受け入れる」、
つまり受容する、について
少し考えてみたいと思います。
言われればなんとなく想像はできるし、
「異なる価値観を受け入れるのが大事だよー」
とかいってくる大人もいるんですが、
実際に「受容」とはどういうことなんでしょうか。
◇C・ロジャースの「受容」
心理学の世界にはカール・ロジャースという
有名なカウンセラーがいます。
実はこの人が最初に、話を聴く人は「受容」が
大事といいました。
まさにミスター「受容」なんですね。笑
そんなロジャースが言った言葉からなら
受容がなんとなく腑に落ちますので紹介します。
◇罪は憎んでも人は憎めない
ある人がロジャースに問いました。
「ロジャースさん、あなたは受容が大事、
どんな人でも受け入れることが大事というけれど、
人殺しのような罪人でもその人を受容し、
関心を持つ必要があるのですか?」
と。
これは難しい問いですね。
しかし、ロジャースは答えます。
「罪は憎んでも人は憎むことはできない」
つまり、人殺しなどの「罪」自体は、
もちろん受け入れることはできないし、
許せないだろう。しかし、目の前にいる
その「人」を受容することはできる。
だって、
もし、あなたがその罪人と
同じ家庭環境で育ち、
同じように人生を送っていたとしたら、
絶対に罪を犯さなかったといえますか。
ということです。
極論すれば、
罪はあくまで飾りみたいなものであり、
「その人」自体ではない。
そう考えるともはや受容するしかないです。
◇まとめ
受容の本質は
評価・判断しないことです。
(おみくじの伏線を無理やり回収)
少し哲学的な話になりますが、
さきほどの例のように罪自体は
裁けても「その人」自体は
評価・判断できない。
肩書や過去の実績は
評価・判断できても
目の前にいるその人は
「その人」でしかない。
理想論だけど、ロジャースは
「その人」自体をみる、聴く
ことを目指していました。
そんな風に僕は理解しております。
なんか今日の記事ふわふわしてるなあ笑
まあそんなこともあるでしょう。
少しでも誰かのヒントになったらいいなあ。
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ちなみにおみくじでは凶がでやすい
お寺とか神社があるみたいです。
今度調べてみよう。
あと、心理ネタは
こっちもどーぞ!
注)ロジャースが大切にしていたのは
受容と共感と自己一致です。
また追って解説しますね。
では。